知床という地名はアイヌ語の”シリエトク”(突き出た所)に由来するそうで、半島の背に連なる知床連山を境に斜里町と羅臼町で分かれている。羅臼町の中心部から半島の先端側に車を走らせること20分、雪景色の海岸線にぽつんと立つ二階建ての番屋(漁師の作業小屋)に、稲葉可奈さんは夫の石田理一郎さんと二人で暮らしている。
進学のために上京して都会暮らしをしていた稲葉さんが、知床に移住したのは2004年のこと。最初3年間は知床五湖にあるお土産屋さんで働いていたが、旧知の仲で先に移住していた石田さんを訪ねてこの番屋に出入りするようになり、知床半島の羅臼側の自然と接するようになる。「知床を目指してきたというよりは、偶然知床に“出逢った”という感じです。
ここにはきっとおもしろいことがあるだろうし、おもしろくやっていけそうだという確信があったのかもしれません」
そう振り返るように、稲葉さんが移住を決めたのは衝動的なものだった。知床を初めて訪れたのは冬。北海道旅行の行程で立ち寄ったに過ぎなかったが、東京に戻ってきてから、気づけば知床での住み込みの求人に応募していたという。
そして今では、自分たち以外に住んでいる人のいない半島の先端部で、しかも番屋で暮らすようになるなんて、抵抗はなかったのだろうか。稲葉さんはそれに対して、「どうせ知床半島に住むのならこういうところのほうがおもしろいじゃないですか」と笑ってこう続ける。
「夏はたくさんの人が自然目当てにここにやって来ますが、冬は誰も来ません。そんな二面性がここに暮らすおもしろさですね。正直不便を挙げていくとキリがありませんが、移住したての頃ってすべてが新鮮で、不便すらも楽しめたりするもの。でもある程度慣れてきた頃が厄介で、不便が今度は不満に変わってきます。でも10年くらい経った頃にはもう何も気にならなくなっています(笑)」