知床の玄関口にある標津町は、アイヌ語の「サケのいるところ(シベ・オッ)」に由来し、1万年以上前からサケとともに暮らしてきた歴史を持つことから「サケの聖地」とも呼ばれている。この町に無類のサケ好きがいると聞いて向かった先は、標津サーモン科学館。ここは全国でも珍しいサケ専門の水族館で、展示されているサケ科魚類は18種30種類以上にのぼる。
今回取材に応じてくれたのは、標津サーモン科学館の学芸員として働く仁科斎さん。ここで働くために本州から移住し、毎日魚たちの飼育管理をしているにもかかわらず、休日や仕事の前には道東の湿原河川から知床方面の山岳渓流まで足を伸ばして釣りと水中観察に勤しむ仁科さんは、「魚のスケジュールに合わせて1年間の動きがだいたい決まってくるんです」と屈託のない笑顔を見せる。
「例えば道東では5月1日から6月30日までヤマメが禁漁になるので、その時期は潜って水中観察に専念するか、もしくはその時期にちょうどアメマスが海に降りてくるので、サーフからアメマス釣りを楽しんで、7月になればまた河川での釣りを再開します。冬は氷上釣りをしたり、氷がつかない湧水河川でサケの稚魚を観察しています。今日行く予定の川も湧水が豊富なので、今の時期でも観察を楽しめる川ですね。もしかしたら目の前のサケの稚魚たちは、去年僕が観察していたサケの子どもたちかもしれないわけです。そう考えると、なんだか親のような気持ちになるんですよね(笑)」
仁科さんがよく通っているという道東の湧水河川は標津サーモン科学館から車で1時間ほどの距離にあり、氷点下の寒さの日でもドライスーツに身を包み、カメラを携えて魚たちの生態を定点観測しているのだという。普段の業務についても伺ってみると、メインとなるのは給餌や水槽清掃といった魚の飼育管理。他にも、来場者の案内や館内展示の企画と制作、実習生の指導、河川調査や採集などのフィールドワーク、人工授精、絵本やイラストの監修、情報発信、設備管理など多岐にわたる。仕事でこれだけ魚に触れながらも、プライベートでも魚を追い求めて遠出を繰り返すそのバイタリティに思わず圧倒されてしまったが、本人はどこ吹く風。「ただ好きなことをやっているだけですから」とサラッと言ってのける。
「過去に観た映画の中にあった『好奇心は人を成長させる最大のエネルギーだ』という台詞が気に入っているのですが、本当にその通りだと思うんです。無理をしている感じはいっさいありませんし、むしろ時間が足りなくて困っているくらい。自分でも信じられないのですが、7年前まで広島で魚とは無縁の生活を送っていたんですよ」
広島の普通科の高校を卒業してから地元で就職した仁科さんだったが、やはり昔から好きだった生物に関わる仕事に就きたいという思いから、貯めたお金で東京の専門学校に入学する。その当時から標津サーモン科学館に興味を持っていたという仁科さんは、同年秋に3週間ほど休学して実習に訪れた。程なくしてサーモン科学館が、地域おこし協力隊として嘱託社員の募集をかけていることを知ると、仁科さんはそのチャンスに飛びついた。中退覚悟で採用試験に臨み、見事合格を果たすと、2019年26歳のときに晴れて標津町に移住したのだった。
「そして3年の任期を経て正社員になり、今に至るという感じですね」とここに来るまでの経緯を説明すると、そんなことはどうでもいいんですと言わんばかりに、なぜ自分がフィールドに通い続けるのか、その理由を聞かせてくれた。
「サケ科魚類においては飼育者も研究者も割といますが、フィールドにも精通した飼育者・研究者は少なかったので、自分がそこに特化できればこの世界で生き残っていけるだろうと、最初のうちは少なからず打算的に考えていた部分もあったのですが、そんなことを抜きにしてのめり込んじゃいました。飼育環境下では魚はこのような行動をとるけれど、自然界では必ずしもそうじゃなかったりする。だから餌のあげ方一つとっても仮説を立てて日々検証し、今度はフィールドに出て答え合わせをする。たいてい答えはフィールドにあるものです。それを自分の目で確かめることに、僕は人一倍こだわっています」