1954
アメリカ・ワシントン州ケントにて設立
「フェンウィック」の名前は創業時に生産工場として使用した二つのガレージ近くに実在するLake fenwick に由来します。このころはブランクメーカー、グリズリー・ブランク社のブランクを使用していました。
ちなみにグリズリー社には元ラミグラス社のデザイナー、ドン・グリーンがいました。
1957
ワシントン州ウッドランドへ移転
このころすでにフェンウィックロッドはバット部分に特徴的なダイヤモンドラッピングを施し、手書きのスペックで仕上げられていました。そしてそれはロッドの最高峰のイメージとして多くのフォロワーを生むことになります。
1958
セブンストランド社が買収。カルフォルニア州ロングビーチへ移転
1960年 ジム・グリーンがチーフデザイナーに就任
セブンストランド社には、あのジム・グリーンが在籍。彼がチーフデザイナーに就任後、近代ロッド史上に燦然と輝く偉業が次々と成し遂げられることになります。
1961
クロックファミリー(フィル、ラルフ、ヘンリー)によって買収される
社長にフィル・クロックが就任
フィル・クロックは、当時アメリカで急速に発展しつつあった、競技に特化したバスフィッシング、つまりトーナメントスポーツとしてのバスフィッシングの流行を敏感に感じ取っていました。
以後、彼のリーダーシップによってフェンウィックは「ひとつ上のフィッシャーマン」へ向けたハイクォリティブランドとしての歩みを進めることになります。
1962
「フェラライトフェルール」を世界で最初に開発
日本でいうところの「逆印籠継」。バット側のオスのジョイントにティップ側のメスのジョントが入るこのデザインはフェンウィックが世界で最初に開発しました(アメリカでは1965年に特許取得)。
フェラライト以前のロッドは金属製のフェルールを介して2ピースのロッドを継いでいました。
これは金属製ゆえの重量や、それ自体がほとんど曲がらないためのアクション面での問題、コスト面での問題を抱えていました。
ジム・グリーンはこれら全ての妥協を取り去り、1ピースに匹敵するスムースなアクションを生み出すことに成功したのです。 現在において、ロッドの継ぎ目、フェルールは2タイプに大別されます。
1つはペグを介して継ぐスピゴット、もう一つはフェラライトです。フェラライトの開発がその後のロッドメイキングの歴史に大きな影響を与えた証と言えるでしょう。
1968 カルフォルニア州ウエストミンスターへ移転
1968グリズリー社を吸収。ドン・グリーンが再びフェンウィックに加わる
この年までドン・グリーンのグリズリー・ブランク社が作るすべてのブランクを購入していましたが、傘下に収めることで、彼がフェンウィックロッドの生産にかかわることになります。
ジム・グリーンとドン・グリーンというロッド開発における優れた才能と、創造力あふれるフィル・クロックのリーダーシップによって、フェンウィックは競技志向のバスフィッシャーマン専用にデザインされた最初の数本のロッドを作り上げます。それが「Lunker Stick」です。
1969
アングラーとの接点となる小冊子「The Lunker Gazette」を発行
ロッド購入者や販売店向けに作られました。年に数回のペースで発行されたこのメディアは、新たなメソッドや新製品の情報、B.A.S.S.トーナメントの情報、キャッチ&リリースの提案など、極めて先進的な情報を提供しました。フリッピングメソッドについて3号続けて詳細なイラスト入りで特集を組んだこともあり、当時のアングラーを啓蒙する役目も果たしました。1990年ごろまで継続。
1971
ティムコが日本へフェンウィック製品の輸入を開始
このころは1ドル=360円(後に変動相場制に移行するも、近年に比べればはるかに円安の時代)。
また高度経済成長期にあたり、輸出は善、輸入は悪という風潮もあり、海外製品の輸入には逆風の時代でした。
しかし、ティムコではいずれ訪れるだろうスポーツフィッシングの隆盛を予期し、日本にルアー・フライフィッシングの市場が存在しない当時から輸入販売を決意。
ジム・グリーンを招聘してフライキャスティングスクールを開催や、ハウツー本の翻訳、出版などをおこない、市場構築に情熱を注ぎました。
現在に至るまで、ティムコは世界で最もフェンウィックに精通している会社の一つとして、ジャパンモデルの開発、販売を手掛けています。
1973世界初のグラファイトロッド、「HMG」を発表
フライロッド5機種、ベイトロッド4機種。グラスロッドをはるかに上回る性能で全世界へ衝撃を与えました。
「フェラライトフェルール」、「グラファイトロッド」、そして「真空製法」はフェンウィックが世界で最初に開発したもので、まさに近代ロッド製造における3大発明と言ってよいでしょう。
接着剤であるレジンを含浸させたプリプレグは、マンドレル(芯金)に巻かれ、オーブンで焼成されて初めて円筒状のシャフト(ブランク)になります。プリプレグは、ローリングテーブルの圧力によってマンドレルにきつく巻かれ、その上に短冊状のセロファンによってテーピングされた後にオーブンに入れられますが、真空製法以前のロッドは、きつく巻かれたはずのこのプリプレグ間に、必ずといってよいほど気泡の混入が見られました。技術的に、プリプレグを隙間なく圧着することは困難だったのです。プリプレグの間に気泡が入れば剥離の原因となります。また、ブランク壁の厚さを均一に作ることも難しく、アクションのばらつきや曲がりのスムースさを損なってしまうなど、問題が多くありました。
この問題に対してフェンウィックは、焼成の段階でオーブン内を減圧して真空化する技術を編み出し、プリプレグ間から気泡を追い出し、物理的に圧着された薄くて軽いブランク壁を作り出すことに成功したのです。
21世紀の今となってもこの「真空製法」やこれに類する製法を採用していないロッドメーカーは皆無であり、いかにフェンウィックの技術が、ロッド製造そのものの進歩に寄与したかの証明です。
1976
世界初のフリッピング専用ロッド「Flippin' Stik Model775」を発売
フリッピンメソッドの開祖、ディー・トーマスとの共同開発によるもので、プロアングラーとメーカーが、釣り方に合わせて専用ロッドを開発するという、現代ではポピュラーな手段で開発された世界で最初のケースと言ってよいでしょう。当時のものは1ピースのグラスファイバー製でしたが、1978年からは現行品と同様のスライドインハンドル(テレスコピックハンドル)を採用し、Model775-2となりました。
1978ウッドストリーム社が買収
病に倒れたフィル・クロックの手を離れ、タックルボックスなどを製造していたウッドストリーム社へ売却されました。以降、woodstream のクレジットがロッドに記されていました。
1981世界初のボロン素材を使用したロッド「Boron X」を発売
最初のモデルはベイトロッドの XC555とフライロッドのXF856。
1982廉価版として「Eagle」を発売
1983 HMGに変わり「HMG Iron Hawk」を発売
1984「Trigger Stick」を発表
現在のブランクスルー構造の先駆けとなるシャフトスルーハンドル(ブランクがグリップ内部を貫通している)を搭載したモデル。
1986ティムコからのオファーにより、「Boron X 吉田バージョン」が発売される 日本初のバスプロ、吉田幸二が手掛けた、日本におけるプロシグネーチャーモデルの元祖。ブランクにフェンウィックのロゴとティムコのロゴか並ぶ、極めて珍しい製品。
1987「World Class」発売
1988カスケード社に売却(3月)された後、アウトドアテクノロジーグループ(O.T.G.)が買収(8月)
「Crank Shaft」発売
グラスブランクをグラファイトで覆う、いわゆるコンポジット構造の先駆け。巻き物専用のロッドという概念も新しい。
1989カルフォルニア州ハンティントンビーチに事務所と倉庫を移転
生産拠点はメキシコと台湾へ。
1990「Golden Wing」発売
"金属的な張り"と称され、その後長きにわたってフェンウィックのフラッグシップとして君臨するゴールデンウィング。日本のバスフィッシングシーンがプロトーナメントとともに隆盛を迎え、トーナメントで勝利するための釣り方、それに対応するロッドの需要が高まっていきます。
当初ティムコはフェンウィック社が開発したものをそのまま輸入して販売していましたが、日本のプロスタッフらの意見を反映させて、ガイドの設定やグリップの長さなど細部を変更したモデルを開発するようになります。それがジャパンモデル、通称"J"モデルです。
1994沢村幸弘、JB史上初のグランドスラム(当時)達成
トーナメント全盛の時代へと突入。ウィニングロッドはゴールデンウィング。
1995「Iron Hawk」発売
完全な日本独自企画としてティムコが開発。クランキンシリーズはマッドペッパーマグナムとの組み合わせによって、ディープクランキングの新時代を開く。
1997 ヘッドオフィスをアイオワ州スピリットレイクへ移転
1998 死角無き補強を可能にした新素材、アラミドヴェールを採用した「Techna AV」発売
1999 全てのロッド生産を中国へ移転
2000
「ゴールデンウィング・コンペティション」発売
1990年に発売されて以来、長きにわたってフェンウィックのフラッグシップであったゴールデンウィングがフルモデルチェンジ。
テクナAVという「トルク型」ロッドの登場をうけ、それとの差別化をはっきりと打ち出したコンセプトで開発されたので、極めて軽量で張りの強さを全面に押し出したデザインとなっていました。
5'8"や6'0"、6'6"など伝統的なスペックが並ぶラインナップでしたが、6'1"や6'9"など目的別に細かくレングスを刻んだアイテムやフルソリッドブランクの採用など、最近のフェンウィックに繋がる新たな試みも見られました。
2002
フェンウィック「FVRクランクシャフト」発売
UDグラス採用のクランクシャフト。フィールドコンディションの変化を敏感に捉えた結果、生まれたロッドです。
UDグラス採用のクランクシャフトは、プロスタッフ(当時)であった小島宏氏の提案によって開発されました。シャロークランク、カバークランクがまだまだマイナーで正しく理解されていなかった当時は、多くのトッププロですら「日本にグラスロッドは不要」と言い切るなど、全くトレンドとは違うアイテムであるグラスクランキンロッドの開発、発売に踏み切ったのは、「異なる素材特性のロッドを、最良の選択肢として用意しておくこと」を使命とするフェンウィックの伝統があったからです。
いまや、シャロークランク、カバークランクは当たり前のものとなり、グラスロッドゆえのメリットを活かした使用法も一般化しました。
エリート・クランクシャフトでは、UDグラス使用のシャロークランキングモデル、コンポジット素材使用のディープクランキングモデルへと拡大。
フラッグシップモデルであるテクナGPのファストムービング用モデル(TF-GP)へと昇華しています。
2003
フェンウィック「スーパーテクナ」発売
"アラミドヴェール"の素材特性である死角なき補強、トルクアップ性能はそのままに、ベースとなるグラファイトシートそのものを軽量化した、"スーパーアラミドヴェール"が開発されました。
既存の"アラミドヴェール"を使用した同スペックのテクナAVと比べ、ブランク単体では15%程度の軽量化(当社比)に成功。
2005
フェンウィック、「ゴールデンウィング・ツアーエディション」発売
「テクナAV」や「スーパーテクナ」をメインに使用していた沢村幸弘が、再びゴールデンウィングをメインロッドとすることになった、第3世代がこの「ゴールデンウィング・ツアーエディション(GWT)」。
グリップデザイン、ガイド設定など斬新なコンセプトで開発されました。
また、近年では沢村が提唱するベイトフィネス用のモデルや、フルソリッドモデルを開発するなど、ラインナップの充実がなされ、文字通りフェンウィックの輝ける翼として存在感が高まっています。
沢村幸弘JBクラシック(遠賀川Round)を優勝
2006
自分のスタイルに合わせてチョイスできるスマートシリーズ発売
2010
沢村幸弘JBクラシック(遠賀川)優勝(通算2勝目)
ベイトフィネス専用モデルがGolden Wingより発表
2012
ハイプレッシャー化するフィールドに対応する新次元「ウルトラフィネスロッド」が各シリーズにて展開
山岡計文JBトップ50第1戦(早明浦ダム)優勝
2013
アラミドヴェール+3M™Powerlux™の融合から生まれた「Techna PMX」発表
フィールド別ラインナップの「Iron Hawk Hook Setter」発売開始。
沢村幸弘JBトップ50第2戦(遠賀川)優勝
2014 創立60周年を迎える
2017 フラッグシップを刷新した「エイシス」シリーズを発売
2018 ハイスペックを擁したハイコストパフォーマンスのスタンダードモデルとして「リンクス」シリーズを発表