歴史の延長線上で

2024年に創業70周年の節目を迎えるフェンウィック。当連載では、同社の歴史や日本との関わりを振り返ることに始まり、オールド系フェンウィックをこよなく愛する人物へのインタビューなどをとおして、長きにわたって醸成されてきた優れた技術、そして魅力について迫っていく。

現代のロッドメイキングの基礎はフェンウィックによって約70年前には築き上げられ、その革新的開発に、数多のロッドメーカー、そしてアングラーが恩恵を受けたことは言うまでもない。私たちは紛れもなく、70年前から連綿と続く歴史の延長線上にいるのである。

先人たちが紡いだ歴史と苦心を知れば、現代のフェンウィックロッドを手にする喜びも、いっそう深まるはずだ。

フェンウィック社の創業

1954年、ワシントン州にて釣り好きのビジネスマン5人によってフェンウィックは立ち上げられた。名前は、当時の生産工場として使用していたガレージ近くにあるフェンウィック湖に由来している。

58年にはセブンストランド・タックルカンパニーの傘下に入り、カリフォルニア州のロングビーチへとプラントを移す。なお、セブンストランド傘下での生産は77年まで続き、本ページ上に掲載したカタログのいくつかにはセブンストランドのロゴが入っているものもある。

60年、チーフデザイナーとしてジム・グリーンがメンバーに加わる。ジムは第二次世界大戦前からサンセット・ライン社やR.L.ウィンストン社などのタックルメーカーで働いていた経験を持つ。この人物こそが、後世に残るエポックメイキングなアイデアを多く生み出した、フェンウィックにおける重要人物である。

ジム・グリーンの横顔

ジム・グリーンは優れたロッドデザイナーであることはもちろん、フライフィッシングのトーナメンターとしても名の知られた存在だった。

フライフィッシングの世界でトーナメンターというと、おもにキャスティングの距離を競う競技会に参加している人のことを指す。ジムはのちの74年に、当時のフライキャスティング史上最長距離となる、60mを超えるディスタンスを記録した人物だった。

フェンウィック躍進の立役者となったロッドデザイナー、ジム・グリーン。フライキャスティングのスクールで来日したこともしばしば。名キャスターとしての教えも、着実に受け継がれている。

当時、西海岸のトーナメントシーンを賑わせていたのが、「ゴールデンゲート・クラブ」という古いキャスティングクラブだ。ジムは、ゴールデンゲートでインストラクターを務めるほどの腕前で、のちにGルーミス社のチーフデザイナーとなるスティーブ・レイジェフもジムの手ほどきを受けた人物のひとりだ。フェンウィック初期の名竿であるFC38が競技用にキャストアキュラシーを重んじて作られたのには、ジム自身が優れたキャスターであったことにほかならない。

その後、フェラライトフェルールの開発、真空製法の確立、そして世界初となるグラファイトロッドの開発という同社の三大偉業は、すべてジムの手によるものであった。近代ロッドの源流を作り上げた人物と言って差し支えないだろう。彼は自宅にいるあいだにもロッドテストができるよう、家の裏庭にキャスティング用の池を持つほど、時間と情熱を注いでいたのだ。

ジムは89年に同社を去ったあと、フェンウィック黄金期を支えた同志であるドン・グリーンが立ち上げたSAGE社(セージ)でロッドデザイナーとして活躍。2004年、83歳で亡くなる最晩年まで、ロッドづくりに携わった生涯だった。

フェラライトフェルールの開発

ジムがフェンウィックで最初に成し遂げたのはフェラライトフェルールの開発だ。日本でいうところの逆印籠継、スリップオーバー・ フェルールのことである。バット側のブランクスの先を細くして、ティップ側のブランクスの内側に差し込むこの方式は、62年に同社が世界で最初に開発したものだった。

60年代のカタログの1ページ目には、フェラライトフェルールの利点を解説する記事が掲載されている。右下にはジム自らロ ッドを曲げている写真もある。
フェラライトフェルールのアメリカでの特許取得は1965年だった

フェラライト以前に生産されたロッドは、すべてニッケルシルバーなどの金属製フェルールで2本のブランクスを繋いでいた。しかし、金属製ゆえに重く、フェルール自体もほとんど曲がらないため、ロッドがスムーズな弧を描かないという問題があった。さらにコストもかさんでしまうなど、同社に限らず、当時のエンジニアには悩みの種だったのだ。

70年代の同社カタログに掲載されたフェラライトフェルールの説明イラスト。開発を繰り返すなか、不満や失敗からくる怒りでブランクスを半分に折ったとき、ブランクスの太い部分に一方の折れた部分を突っ込んでみたことが発端だったという。

そんななか、フェラライトフェルールはそれらの問題をすべて解消した。携行性や保管場所などの利便性から、2ピースでもロッド全体のテーパーを失わない継ぎ方はないだろうかと試行錯誤していたジムの偉業だったのである。ジョイント部がほとんど見えないロッドを見た当時の販売店員が、1ピースロッドと見まがうほどだったという。

略式年表
フェンウィック創業~ジム・グリーンのチーフデザイナー就任まで
1954年
アメリカ、ワシントン州ケント、フェンウィック湖の畔にて設立。社主はハロルド・エドワードとロン・アンダーソン。創設者のひとりであるケン・トリスラーはすでにダイアモンドラッピングの技術を完成させていた。
このころのブランクスはグリズリー・ブランク社のものを使用。グリズリー社は第二次世界大戦後、いちはやくグラスファイバーによるブランクス製造を営んでいた会社のひとつ。デザイナーには元ラミグラス社のドン・グリーンがいた。
1955年
フェンウィック社としての最初のロッド製造に着手する。
1956年
同州ウッドランドへ移転。すでにバット部にはダイアモンドラッピングが施され、手書きのスペックで仕上げられていた。
1958年
ソルトのビッグフィッシュゲーム用ラインで繁栄していた、セブンストランド・タックルカンパニー社の傘下に入り、同州のロングビーチへとプラントを移す。このころ、ジム・グリーンがセブンストランド社に採用され、フェライトフェルールの開発を始めていた。
1960年
ジム・グリーンがチーフデザイナーに就任。
1962年
世界初の技術であるフェラライトフェルールを搭載したロッドが販売される。今日でも採用されるロッドのジョイント方式となる。