グラスファイバーの隆盛

グラスの発明は第二次世界大戦の直前で、ジープや戦車のアンテナなど、おもに軍需産業を中心に使用されていた。なかでもB29などの戦闘機で知られるボーイング社はグラスの最大のユーザーであり、堅牢な素材を活かした開発が急ピッチで進められた。アメリカ全土から工場のあるシアトルまで大量の働き手が移住し、フェンウィック創設者のひとりも、ボーイング社で働いていたのだった。

終戦後、ボーイングは旅客機産業にシフトチェンジするが、グラスはこれを機にさまざまな製品に応用されることになる。ロッドもそのひとつで、それまでバンブー(竹)が主流だったところに、安価かつ、あまり手入れを必要としないグラスが市場を席巻していく。フェンウィックは当時すでに高品質のグラスファイバーブランクスの製造に成功していたラミグラス社を独占サプライヤーとし、グラスロッドメーカーとして市場をリードしていった。

ランカースティックシリーズ

1968年、オフセットのガングリップタイプのロッドとして、グラス時代の名竿である「ランカースティック」FCシリーズ、PLCシリーズが発売された。

現在も中古市場において高値がつくFC38は、3/8ozのルアーウエイト指定というモデルで、キャスティングの正確さを競う競技用に作られたものだった。実釣では、小型のスプーンやプラグ用のロッドとしてよく使用されていたという。

77年、同社はグラス製バスロッド群の名前を「ランカースティック2000」と改め、シリーズを再編成する。なかでもFC60は、コスメティックやシャフトのマイナーチェンジを続けながらも、のちの83年まで生産された同社最長寿のモデルになっていく。今もなお、トップウォーター志向のアングラーを中心に根強い人気を持つ、オールドフェンウィックの名竿である。なお38、60ともに「白帯」の愛称で親しまれ、いずれも同社50周年の際に復刻された。

1968年のカタログから。FC60はベイト、スピニングの両用として発売されたことがわかる。
カタログ上で「ランカースティック」という製品名が見られるのは1971年からだった。
真空製法の発明

当時一般的だったブランクスの製造方法は、グラスやグラファイトなどの繊維を鉄芯に巻き、接着剤で固めたあと鉄芯を抜き取って、表面に塗装を施すというものだった。

こうすることで中空のブランクスができあがるものの、繊維を厚く巻きつけるほかなく、重く、アクションの鈍いものになってしまう。また、きつく巻かれたはずの繊維のあいだには必ずと言ってよいほど気泡が混入してしまうのだった。

さらに、ブランクス壁の厚さを均一に仕上げることも難しく、アクションのバラつきやスムーズな曲がりを損なってしまうという問題もあった。

この問題に対してフェンウィックは、円筒状に焼き上げるオーブン内を減圧して真空化する技術を編み出し、気泡を追い出すという製法を確立した。こうすることで強度を犠牲にすることなく、薄くて軽いブランクス壁を作り出すことができたのである。真空製法と呼ばれるこの製法は、同社の研究によって59年にはすでに確立されていた。

ブランクス本来の性能を発揮するため、壁を薄くできる真空製法は欠かせないものだった。ロッドが曲がるということは、「外側は引っ張られ、ガイド側は縮む」ということに着目した、ジム・グリーンの偉業のひとつである。今日も、この製法をもとに多くのロッドメーカーがブランクスを製造している。
世界初のグラファイトロッド「HMG」シリーズ

グラスの次なるロッド素材として同社がいち早く着目していたのがグラファイト(カーボン)だ。

グラファイトも飛行機の製造において使用されたのが始まりで、イギリスの宇宙航空産業の科学者によって、60年に発明された炭素繊維である。

1969年から、新製品情報や新たなメソッドを提供する冊子、『The Lunker Gazette』の発行が始まる。年に数回のペ ースで発行され、フリッピングメソッドなどについて詳細に解説する記事が掲載されるなど、テクニック面においても当時のアングラーを啓蒙する存在として、同社は地位を確立していった。発行部数は一時165,000部。写真は82年の冬季に発行されたもの。

68年、ジム・グリーンとともに同社ロッド開発の中心的存在であったドン・グリーンは、長さにして15〜20cmほどの小さなグラファイト片を手に入れ、研究の結果ロッド素材としての将来性を感じたという。5年後の73年、世界初のグラファイトロッドである、HMGシリーズが生まれるのである。

シリーズ名は「High Modulass Graphite」の頭文字を取ったものだ。モデュラスとは、同じ重さの異なる素材の繊維がどの程度の硬さを持つかを比較し、測定する比率のことを言う。つまりHMGは、従来のグラスと比べて硬いということで、「ハイ・モデュラス」の名がついたということだ。

軽くてハリのあるグラファイトロッドはまさに革命だった。また、パワー表記やレングスの短縮表記なども、フェンウィックが最初に取り入れた。

とはいえ、グラファイトという素材だけでは軽くて硬いロッドが作れるというわけではなかった。

どんな素材を使うにしても、チューブラーのブランクスは、バットからティップにかけて伸びる縦の繊維と、円状に巻き付ける横の繊維の両方で仕上げていくのが一般的だ。縦の繊維は、ロッドが湾曲したときの外側の伸びと、内側の圧縮を行なう、いわばロッドのアクションに直接関係するもの。対して横の繊維は、魚の引きに伴う圧迫力から、ブランクスが潰れるのを防ぐものである。グラファイトは非常に細い繊維なので、結束性を高めるためにこれらをエポキシ樹脂で圧着する必要がある。そこで、すでに確立していた真空製法を用いて焼成し、硬化させるのだ。

こうすることでブランクス壁を薄くすることに成功したHMGシリーズは、同社のフラッグシップモデルに躍り出た。バンブー、グ ラスにはなかった、快適で新しい感覚を当時のアングラーに与えたのだ。

HMGシリーズがデビューした1973-1974年のカタログ(当時のカタログは秋発行)。同じ長さで作ったグラスより25%軽く、バンブーより40%軽い、というコピーが添えられている。「since Fenwick!」の文言も誇らしい。
略式年表
ランカースティックシリーズ~HMGシリーズの発売まで
1967年
工場をロングビーチから8マイル東にあるカリフォルニア州ウェストミンスターに移転。
1968年
ブランクス製造で支持を集めていたグリズリー社を買収。ドン・グリーンが再びフェンウィックに加わり、ジム・グリーンとともにグラファイトロッドの実験を始める。
競技志向のアングラーに向けたグラスロッドシリーズ「ランカースティック」がデビューする。
1969年
カタログとは別に、アングラーとの接点となる『The Lunker Gazette』の発行が始まる。
1970年
70年代に入り売上が急増する。このころから、著名なアングラーやフィッシングライターにデモロッドを提供し、インフルエンサーを利用したプロモーションを始める。
1971年
ティムコが日本へのフェンウィック製品の輸入を開始。まだ国内に市場が存在しない時期の、ルアー・フライフィッシングの流行を予感する慧眼だった。
1973年
HMGシリーズのリリース。フライロッド5本、バス用ベイトロッド4本のスタートだった。