「いい写真ってなんだろう?」そんなことを考えるようになったのは、初めて個展を開いた2012年くらいだったと思います。その後出版社に拾われて旅雑誌の編集をするようになってからは、ますます写真が持つ「伝わる力」というものを意識するようになりました。編集者は企画を立て、写真家とタッグを組んで誌面や記事をつくっていきますが、カメラの知識や写真への理解があったというのは、編集において少なからず自分の強みだったと思います。なぜなら、僕はもともと写真家になろうと思っていたからです。
写真家という職業に憧れたのは20歳の頃、最初は星野道夫さんの本の影響でした。思えば漠然とした将来への不安を抱えていた当時、カッコいい大人たちが自分と同じ年頃の時にどんなことをしていたのかを知りたくて、いろんな人の自伝エッセイばかりを読んでいたように思います。なかでもアラスカに移り住んで、悠久の自然とそこに息づく動物たち、そして厳しい環境で生きる人々の暮らしを写し撮り、見聞きした記憶を書き綴った星野さんの仕事は僕にとって希望の光でした。
そこから派生するように今まで知らなかった世界が目の前に広がり、自分の環世界が形成されていったように思います。そして、その人にだけ見えている世界を写し撮る写真家は、僕にとって最もカッコいい職業であり生き方でした。
ではどうしたらそんなふうに生きられるだろう。そもそも、人に伝えたいことなんて自分にあるのだろうか。転勤族で地元もなく、自分の根っこという部分にコンプレックスを抱えていた僕は、大学生の頃から頻繁に旅をするようになります。人に会う旅がしたいと、日本全国をヒッチハイクで旅してみたり、野宿をしながら何日も歩いたり……まあ、自分探しの旅と言えばそれまでなのですが、その時代・年代にしかできない旅をしてきました。

この学生時代の旅は、僕に一眼レフカメラの扱い方と少しばかりの「根拠のない自信」を与えてくれました。そうして僕は、両親が敷いてくれたレールからドロップアウトして、写真家を目指すようになります。就活用スーツから作業着に着替えて、高所窓ガラス清掃の仕事と山登りを始めると、毎月稼いだお金でカメラ機材と山道具を少しずつ買い揃えては、自然の写真を撮ることに熱中していきました。
そんなある日、転機が訪れます。偶然にも自分の担当ビルのテナントで、当時憧れていた雑誌の編集長がイベントをしており、食事をご一緒する機会をいただきました。そしてそれから2年が経ったある日、編集長から電話がかかってきて、その出版社で働くことになったのです。