10年かけてアラスカに通う中で少しずつ撮るモチーフが変わってきました。これまでは自然の深部へと分け入って撮影することが多かったのですが、最近ではその地に生きる人たちを撮ることにシフトしていっています。
アラスカに行くたびに毎回立ち寄る村があるのですが、そこで僕と同世代くらいのアラスカに暮らすネイティブの人たちと話をしています。彼らは英語しか喋りません。なので、自分たちの世代で親たちが使ってきた言語が失われていくことをどう思っているのか、村の今の暮らしから未来をどう見据えているのか、といったことを尋ねては、彼らの写真とともに伝えようとしています。
僕は今、「生きることと暮らすこと」をテーマに撮影しています。アラスカに我々現代人が忘れがちな“生きる”を見出し、一方で人間の経済活動も含めた“暮らす”ことを西表島を撮ることでひもとこうとしています。その土地で獲れるものに頼って生きていくには最適な人口を維持する必要があるし、経済社会に依存した暮らしを選ぶならお金が必要になってきます。
以前環境省の方から聞いたことがあるのですが、日本の平地面積に対して食料自給率100%で暮らすためには人口3000万人くらいが限界なんだそうです。日本でその均衡が保たれていたのは、江戸時代後期くらいまでだったと推定されています。この土地はどれだけの人を養ってくれるのか、それをオーバーした場合は全員の胃袋をどうやって支えていくのか。外からの資源に依存すれば、様々な外的要因で絶たれてしまうリスクもあります。
こういったことを一人一人が真面目に考えなければならないフェーズにきていると思うんです。これまでと同じ暮らしが、この先もあたりまえのように続いていくとは限りませんから。
僕も今は安曇野で自分の暮らし方を見つめ直しています。必要なものはなるべく自分の手でつくったり、ソーラーエネルギーを生活に取り入れたり、自分にできる範囲で地道に取り組んでいます。地球とか命をテーマに写真を撮る写真家は、未来志向を持っている人が多いと思うんです。自分たちの私利私欲のために資源を使ってきたことのミステイクを、他の人よりも多く見て、感じてきたはずですから。